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​箱根旧街道

<西坂>

箱根旧街道は、江戸時代初めに徳川幕府が整備した東海道の一部です。

三島宿(標高25㍍)から箱根峠(標高846㍍)を登り、小田原宿(標高10㍍)まで下る八里(約32㎞)の坂道です。この坂道は「箱根の山は天下の険」と唄われたように、東海道随一の難所と言われました。このうち、三島宿から箱根峠を越え、箱根の関所までの区間を西坂とも呼びます。

 

当初、この箱根旧街道には滑り止めのために竹が敷かれていましたが、延宝8年(1680)に二間幅(約3.6㍍)で石が敷き詰められてから、石敷きの道となりました。

​★三島市の箱根旧街道に関するHP

 https://www.city.mishima.shizuoka.jp/ipn032437.html

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接待茶屋跡

江戸時代、険しい箱根を往来する人のために湯茶やたき火、飼葉を施した所で昭和45年まで、続けられた。

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上長坂の左富士!

右手に見えるはずの富士山が、この曲がり道に差掛かると左に!

知る人ぞ知るスポット

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雲助徳利の墓

人望の厚かった松谷久四郎という名の雲助の墓。終生酒を愛していたとのこと。

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富士見平と芭蕉の句碑

この地を訪れた松尾芭蕉は、霧が深くかかったさまをしぐれに見立てた句を詠んだ。

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芝切地蔵尊

​山中城の三ノ丸内にあります。昔、この地で突然病に倒れた旅人を地蔵尊として祀った。

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松並木と錦田一里塚

​街道の整備とともに、道の両脇に松を植え松並木をつくった。さらに道中の目安として約4㎞ごとに一里塚を築いた。

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六地蔵

​市山新田も道沿いのある六地蔵ら。

後列右端の1体に寛政6年と刻まれている。

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三嶋大社

伊豆国の一宮として、古来より人々の尊崇を受けてきた名社。

2018 mishimanoshiseki 。Wix.comを使って作成されました

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